
しんでくれた 詩/谷川俊太郎 絵/塚本やすし 参考
娘とドライブ中、ラジオから流れてきた
「しんでくれた」という谷川俊太郎さんの詩。
何年経っても心に残る、深く刺さる詩に娘と二人衝撃を受けた作品です。
音読の宿題で「詩」が取り上げられ、久しぶりに「詩」について話していて
懐かしくなり上記の絵本を読んでみました。
「しんでくれた」が突きつけるもの
うし
しんでくれた
ぼくのために
そいではんばーぐになった
ありがとう うし
「命をいただく」という現実
命をいただく。
生きる上で命を奪うこと。
当たり前のように並ぶ食事は生き物の命から出来ている。
「しんでくれた」というのは「死をくれた」ということです。
わたしたちが生きるために「命を与えてくれた」という意味にも取れます。
わたしたちのために生き物は死んでくれている、
だからその命の分も生きていかなくてはいけない、
そういう内容です。
食品となったうし、ぶた、にわとり、さかな…犠牲になってくれている、声なき尊い命。
彼らはもちろん食べられるために生きていたわけではない。
「しんだ」というより「ころされた」という表現が近いかもしれません。
「ありがとう」と感謝を自覚しながら、食事をする機会は少ないでしょう。
日々の忙しい生活の中では、食事はルーティンの一部でしかありません。
子どもにどう伝えるか
このソーセージは元々は豚さんなんだよ、
この焼き魚は元々は海を泳いでいたんだよ、
そんな風に食事の際に子どもたちに語りかけるのも良いかもしれません。
奪ってしまった命と正面から向き合い、感謝の気持ちと人間の残酷さを忘れないで…というメッセージをきちんと子どもたちにも伝えていきたいですね。
ぼくはしんでやれない
だれもぼくをたべないから
だからぼくはいきる
しんでくれたいきもののぶん
ぜんぶ
僕は誰にも食べられないし、死んだら家族が悲しむから死ねない。
それはちょっと人間のエゴというか、自己都合な気も。
読み手によって感じることは異なりそうですね。
動物だったら悲しまない、という前提はどうかな、と。
(豆知識)
ゾウ、イルカ、ゴリラ、カラス、犬、猫などは死者を弔う行動をするそうです
◎ゾウ
死骸に集まり、鼻で触れ立たせようとしたり、土や葉を被せたりする行動が見られる
◎イルカ・クジラ死骸を口にくわえて水面に運びあげたり、群れで寄り添って悲しむような行動をとることがある
◎ゴリラ
亡くなったパートナーのそばに長時間とどまり、悲しんでうつ病になることも。深い悲しみを示す。
これらの行動が悲しみ、と呼んで良いのかはわかりませんが、
生き物だから命を奪って良い、と簡単に思わない人間でありたいですね。
だからこそ全部(残さず)食べて強く生きていかなければならない。
自分の命は他の命の犠牲の上に成り立つもの。
命が命を繋いでる。
大事にして。
食物連鎖の中で、食べられることのない人間。
一方的に命を奪うことしかできない立場として、わたしたちの糧になってくれている生き物に感謝しながら、
毎日を精一杯生きていきたいと改めて思わせてくれる絵本です。
子どもたちにも、大人にもぜひ読んで欲しい一冊です。



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